2016年12月27日火曜日

学生支部主催、全国GVフォトコンテスト

海外での建築ボランティア活動をはじめ、国内でのファンドレイズや啓発活動に取り組むことで貧困住居問題の解消を目指すハビタット・ジャパンの学生支部が、今夏海外建築ボランティアプログラム(GV: Global Village Program)に参加したGVチームを対象に、初の試みとなるGVフォトコンテストを開催しました。コンテストはSNSの一つ、Twitterを使って一般投票により実施されました。GVフォトコンテスト専用のアカウントが開設され(アカウントはこちらをクリック)、開催期間中に66ツイート、1,426のフォローを得て、決勝戦では560票もの投票がありました。

コンテスト主催メンバーが、フォトコンテストで最も多くの投票を得た中央大学の学生支部『C-Habitat』のみなさんに優勝作品を選んだ背景、GVに対する思いなどをインタビューしました。

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Q1.チームの基本情報
大学名(都道府県):中央大学(東京都)
CC名:C-Habitat
チーム名:お鼻GV
派遣国:フィリピン ケソンシティ
活動日程:14日間 817日~830
メンバー:計18名 男13名女5
支援した家の情報:集合住宅
主なワーク内容:ゴミ拾い、砂・石運び、地盤堀り、レンガ積み
写真の題名:「言葉の壁なんてありません」

Q2.なぜこの写真を選びましたか?
自分達と現地の方との実際の空気感が1番現れていると思ったから。

Q3.GVフォトコンテストに参加してみての感想
正直最初から1番良いという自信がありましたが、他のチームの写真もとても良く、他のチームを知るいい機会となりました。

Q4.チームの良いところ
本気で熱く取り組めるところ

Q5.GVの中で大変だったこと
2週間で家が完成しない点と雨などの作業中断

Q6.子供が写真に写っていますが、子供とのコミュニケーションはどうでしたか?接してみてどう感じましたか?
子供はみんな無邪気で、心から私達と遊んでいるのを楽しんでいて、家を建てるモチベーションに繋がったり私たちも色々と助けられました。

Q7.ズバリGVの魅力とは何でしょう?

現地の方々といいメンバーといい最高の仲間に出会えること!

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コンテストにエントリーされたどの写真も、それぞれのチームが作り上げたGVを表す素敵な一枚でした。エントリー写真は、全国GVフォトコンテストのTwitterアカウントより確認ください(Twitterアカウントをはこちらをクリック)


参加くださったチームの皆さま、投票に参加くださった皆さま、コンテスト実施をシェアしてくださった皆さま、ありがとうございました。


2016年12月7日水曜日

「動かす」ワークショップ 学生の課題解決と更なる成長へ

1130日、ハビタット・ジャパンとリクルート住まいカンパニー(RSC)との共催で、学生に向けたワークショップが開催されました。テーマは「動かす」ワークショップで、学生としてイベントを企画するとき、いかにして企業を巻き込み「動かす」ことができるか、ということをテーマに開催されました。イベントにはRSCの社員の方々が参加し、学生の企画立案の最中やその企画についてのプレゼンに至るまで、様々なことに対してアドバイスをいただきました。
参加した学生からは、「今後の活動にとても活かせる、新鮮な内容のワークショップでした」といった声や「今回のワークショップが、企業との関わり方を考える良いきっかけになりそうです」といったポジティブな感想が多く寄せられました。
その中でも今回は、日本大学の学生支部(Ala-N)のメンバーで、当日のグループを代表してRSCの執行役員の方に対してプレゼンをしてくれた、金井浩太郎くんの感想を皆さんにお伝えします。

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今回のイベントに参加したキッカケは現在、所属しているハビタットの学生支部として社会人の方と関わる機会がなかなか無いということもあって、社会人と学生が繋がれるイベントを開催すると聞いたときすぐ応募しました。

リクルートさんが開催してくださった内容が協賛を企業からいただくためのノウハウということで直接社員の方からプレゼンを聞けました。また、その後のグループごとでの企画を仕立てる段階やプレゼンで企画を発表した後に細かい部分までアドバイスをいただけたことを嬉しく思いました。そして最後には僕たちのグループがみんなの代表としてRSCの執行役員の方に直接プレゼンをする機会をいただけました。

ワークショップが始まり、まず最初に気づかされた点は社員さんのプレゼンの仕方に目を奪われました。社会人の方が学生目線と社会人目線の両方を使い分けて時に身近に、時に距離を置いて話す。砕けすぎず硬すぎずバランスが素晴らしかったです。イベント終了後に「魅力を伝えるために意識していることは何ですか?」と伺ったところ、「感情を出して話す」と言い、「嬉しい」、「楽しい」、「苦しい」、「つらい」といった感情を出すことが秘訣だと教えてくれて、自分も代表という立場にある身としてとても参考になりました。また、イベント協賛をもらうために自分たちの団体、来場者、協賛をいただきたい企業の3方の立場を考えることが大切だとおっしゃっていました。そして最後に大切なことは「熱意があるかどうかだ」と語ってくれました。
 
全体を通して学び感じたことは自分の団体にしかない強みをよく知ること。ボランティア団体に所属している僕らにはイベントを企画するときもボランティアをしているときも相手の立場になって考えて行動するということが何より大切だということに改めて気づかされました。

これからも社会人と学生が関われるような機会が増えてほしいと思います。そして学び感じたことをこれからの活動に活かしていきたいと思います。

2016年11月25日金曜日

初のミャンマーGV、リーダー立候補への決意と意気込み

今春、日本からミャンマーへのGVチームの派遣が世界で初めて行われようとしています。チームメンバーはハビタットの学生支部のメンバーで構成され、リーダーも学生からの立候補を募りました。そんなチームのリーダーに立候補してくれたのが、日本大学2年生のキャンパスチャプターAla-N)代表の青柳智也くんです。

そもそも、ハビタット事務局から学生に向けて「世界で初めてミャンマーへのチームを派遣してほしい」そうメッセージを送ったのが今回のチーム結成のきっかけでした。チームの構成は各大学から自由に参加希望者を募集する今回の派遣は、多くのことが初めてのものです。そんなチームのリーダーに青柳くんが立候補したのには、Ala-NでのGV派遣での経験がありました。

「高校時代はボランティアには興味もなかったし、何かの代表を務めたり、人の前に立つような立場ではなかった」そう青柳くんは話します。そんなAla-Nに入った理由もボランティアへの強い興味などがあったわけではなく、友だちに誘われたから、という理由でした。しかし、2回のGV参加での出会いが彼を変えました。「2回目のGVチームのリーダーで、CCの代表でもあった三科くんのチームの作り方や、後輩へのメッセージの伝え方がすごく上手くて尊敬出来た」GVを振り返りそう語ります。尊敬できる先輩との出会いから、彼の視点が変わりました。「自分がこれまで経験してきた『楽しい』や『すごい』といった感情を後輩に伝えたい」それまでは先輩の背中を見て様々なことをただ学ぶ立場から今後は先輩として、得たものを後輩に伝えたい、そう変化しました。その意思から2年生の夏にはGVリーダーを務め、後期からはAla-Nの代表にも就任しました。

リーダーとしてメンバーを率いたGVでは、青柳くんは『伝えること』の難しさを実感したと言います。「自分の中でのGVは楽しみながらやるもの、という考えがうまいこと伝えられなくて、楽しむことだけが強調されることもあった」今年の夏のGVをそう話します。しかし、GVが失敗に終わることはなかったようです。「GVを通して『伝える』ということは、1度はできました。次は代表としてやりたいことや、やるべきことをしたい。それに、Al-Nには自分の他にもGVリーダーを任せられるやつがもういるので、2回も自分がAla-Nでリーダーをやる必要はないかなと思いました」代表に就いたのちの思いをそう話します。

また、青柳くんは話の中で代表としての目標も話してくれました。「今のJCCは組織も大きいし、1つ1つのCCが面白いことをしてる。けど、まだ1つになりきれてないって感じます。僕が代表の間は、全国のCCが同じ方向をしっかり向いて今以上に魅力のある組織にしたいと思ってます」と、学生として組織の中にいるからこそ感じる問題点をあげた上で、こう続けました「そのためにいろいろな大学から意欲のある人が集まるこのGVのリーダーをやって、関東だけでなく関西ともさらにつながりを強くして、JCCのメンバーがみんなで同じ方向を向いているような組織にしたいです」と、力強く話してくれました。

高校時代の同級生に、ボランティアやサークルの話をすると時々馬鹿にされることもあり、1年生の時はそれが少し嫌に感じることもあったと言います。しかし、そこからの心境の変化もありました。「今は、何を言われても大丈夫です。1年生の時と違ってやってる理由とかも話せるし、何なら活動を広めて誘ったりもしちゃいますよ」と笑いながら答えてくれました。1年生から、CCやハビタットの活動に参加する中で色々な人の話を聞き、経験を重ねる中で一歩一歩確実に進歩している青柳くんが、また未知の土地であるミャンマーで何を見て、自身とCCの成長に繋げるのか、Ala-Nと春のミャンマーGVチームの活動に注目です。

筆:広報インターン 喜多

2016年11月3日木曜日

ハビタット・ジャパン 学生インターン後記

ハビタット・ジャパンでは、ハビタット・ジャパンの学生支部(キャンパスチャプター)に所属するメンバーを中心に、学生インターンとして採用しています。キャンパスチャプターのメンバーとして、またインターンとしてハビタットの活動に積極的に参加し、様々なものを見て、経験し、成長したインターン生は、インターン期間を終了した後、其々が新たな取り組みにチャレンジしています。現在フィリピンにいる、10月5日の記事を更新した村田もそんなインターン卒業生の1人です。

今回は、ハビタット・ジャパンのインターンを終え、現在はタンザニアで国連のユースボランティアとして活躍している立教大学Eddyの元代表・米田大志から便りが届いたので、皆さまにもお伝えしたいと思います。2年生から、キャンパスチャプターの立ち上げに尽力し、3年生の1月からインターンとしてハビタットの活動に協力してくれた彼が、その活動の中で何を感じ、どのような心境の変化が起こったのかを綴ってくれました。
ハビタットでの経験をもとに今後どのような取り組みを行うのかが楽しみになる、そんな彼のレポートを是非お読みください。

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 【知って、伝える。】

 こんにちは。立教大学Eddy4年の米田大志と申します。私は大学2年の夏に仲間とハビタットの学生支部を立ち上げ、代表として活動に携わってまいりました。また、今年の1月から8月まで、約8ヶ月の間インターンとしてユースプログラムの業務をお手伝いさせていただいておりました。現在はアフリカのタンザニアという国に滞在しており、国連ユースボランティアとして来年の2月下旬まで国連ボランティア計画のフィールドユニットで働くことになっております。この度は、ハビタットでの経験が現在の私にどう影響しているのかという点について記させていただこうと思います。

 ハビタットでの経験を振り返ってまず感じるのは「現状を知る意欲が高まった」ということです。私は大学2年の夏休みに2014年度のStep to Peace (日本全国から集まった学生合同チームで*GVに行く企画。以下STP) に参加し、インドを訪れました。それは私にとって初めての途上国訪問・本格的なボランティア経験だったのですが、毎日が衝撃の連続でした。家と呼べるのか疑問に思ってしまうような住環境や物乞い、課題だらけのインフラ。それまでテレビを通して見ていた世界が私の目により広く、より深く映ったことを覚えています。一方で、現地の人々の温かみやより良い暮らしへの情熱といった、プラスの衝撃も受けました。これらは全て、実際に現地へ足を運び己で体感したからこそ知り得た現状であると確信しています。

STPを終えてからは「もっと色々な世界の現状を知りたい」という強い意欲が生まれ、それに突き動かされるように行動を起こしてきました。例えば、インドネシア・ネパール・再びインドと、計4GVへ参加しました。また、国内でも東北や熊本の被災地域、都内のホームレスの方々のもとへ複数回に渡って赴き、実情を頭だけではなく五感で確かめてきました。現在タンザニアで国連インターンに参加しているのも、国連とアフリカの現状を知りたいという意欲に導かれた結果です。今後もこの意欲を留めることなく、新たな知見を得られる機会があれば積極的に飛び込んでいこうと思っております。


 また、「伝えることの重要性に気付いた」こともハビタットでの経験を通して得た成長です。人は感情を揺さぶられる経験をした時、誰かに話したくなるものではないでしょうか。私は前述のGVに参加したことで大きく感情を揺さぶられ、帰国後は体験を伝え広めることに傾倒する学生生活となりました。最後に参加したGVでは動画作成という形で自分の活動や想いを可視化し、多くの人に伝えました。このように、自分の体験を伝えることに注力する中で1つ気付いたことがあります。それは、「伝えることで波及効果を生むことができる」ということです。どんなに素敵な出来事があっても、どんなに衝撃的な経験をしても、誰かに伝えなくては自分の中で完結してしまいます。ですが、伝えることで体験は自分の中から解き放たれ、水面に落ちる雫のように周囲に影響の波を広げることができます。時にその波は、誰かが新たな行動を起こすきっかけにもなるのです。実際に活動を通して、新たな行動や変化を見せてくれた仲間をたくさん見てきました。そんな彼らの姿を見る度に伝えることの重要性を再確認したことは言うまでもありません。現在、私は主に広報担当として働かせていただいております。タンザニア、延いては世界中の人々にいかに影響の波を広げていくかという点に着目し、精一杯伝えていく所存です。

 以上、例として2点挙げさせていただきましたが、私がハビタットでの経験を通して得たものは計り知れません。また、それらは間違いなく、現在の私に多大なる影響を及ぼしています。経験を今に活かしつつ、残りのタンザニアでの日々、そしてその先の未来へ力強く進んでいきます。少々長くなってしまいましたが、ハビタットを通して得ることのできた全ての経験と全ての出会いに心から感謝し、拙い文章を締めさせていただこうと思います。誠にありがとうございました。

*GV: ハビタットの海外建築ボランティアプログラムのことでGlobal Village programの略

2016年10月13日木曜日

青年海外協力隊員として活動するに至るまでの道のり


初めまして!現在青年海外協力隊としてフィリピンのパナイ島アクラン州カリボ町に防災・災害対策という職種で赴任中の羽田と申します。スタッフの高橋さんより寄稿の依頼を受け、僭越ながら記事を書かせていただいております。少し長文となりますが、【大学での取り組み】→【社会人の経験】→青年海外協力隊としての活動】といったような流れで話を進めていきます。

【大学での取り組み】 
私は2006年-2010年の間、東海大(湘南キャンパス)で学生生活を過ごしており、その際にハビタット・フォー・ヒューマニティ・ジャパンの学生支部であるSame Same but Tokaiに所属し、海外建築ボランティアプログラム(GV:Global Village Program)に参加しておりました。大学1年の夏季休暇を利用し、GVに参加することで初めての海外、バングラデシュに渡航しました。その経験がきっかけとなり、国際協力に関してより一層関心をもつようになり、その後フィリピン、タイ、インドと4回GVを経験いたしました(そのうち1度はGVリーダーを経験。Same Same but Tokaiの代表も経験)。私にとって初海外がGVとなり、ただの観光旅行とは違った側面を見ることができたこのプログラムは、非常に見るものすべてが新鮮かつ、勉強になることばかりでした。GVの経験後は、学内の活動だけでなく、学外でのNGOの活動やインターンシップなどに取り組み、将来的に国際協力の業界で仕事に就くことができたら…と考えるようになりました。

【社会人の経験】
カリボ町の台風ヨランダ被災者への
再定住地建築現場。
まだ完成はしていません。
大学卒業後ですが、地元の新潟にUターン就職し、消防士として5年間勤めました。その後、防災・災害対策という職種で青年海外協力隊員となり、フィリピンに派遣されました。なぜ私が大学卒業後に消防士を選択したのか、それには理由があります。国際協力の分野で貢献するには社会人としての経験を積むことが大切だ、そうインターン先でお世話になったNGOの事務局長からアドバイスをいただきました。自分自身、何度もGVを経験する中で、手に職がなくては海外で活かせるものは何もないのでは・・という懸念を抱いていたこともあり、将来を見据えて少しずつ自身の方向性を見出していきました。そして、“人の役に立てたら”という思いがキーとなり、人の命に直接関わる“消防士”という職が結びつきました。
消防の仕事というのは自身が想像していた以上に忙しく、また人の命に直結する仕事だからこそ厳しい業界でもあることを認識させられました。消防士としての経験は、単に火消しとして町を守るのではなく、地域の人との関わりを大事にすることや、未然に火災を防ぐことに重きを置いているなど、ベテランの消防士が培った技術・知識を伝承することの大切さや防災について学ぶことが非常に多くありました。

【青年海外協力隊員としての活動】
現在私は前述の通りフィリピンで活動しております。消防・救急・救助関連のトレーニングを実施するかたわら、日本の防災に関しての取り組み紹介や、日本の防災教育の教材を借用しHUG(避難所運営ゲーム)を町の集落で実施しています。2013年にフィリピンを襲った台風30号「ヨランダ(ハイエン)」により、フィリピン全土で6,000人以上もの人がなくなった歴史は記憶に新しいかと思います。ハビタットの活動はその復興への手助けにもなっていることを、ここに来て改めて実感しています。私の任地はパナイ島アクラン州カリボ町というところでして、同じ州内にあるボラカイ島というところがリゾートで有名なため、他の地域と比べて経済が潤っている部分があります。ヨランダによりこの地も被災しましたが、被害が深刻だったレイテ島やセブ島北部などに国際援助が注目し、被害がそこまで大きくなかったところに関してはある種見捨てられてしまっているところがある、というのをこちらに来て気づくこととなりました。今年(2016年)に入り、ようやく任地でも被災した方が再定住できる土地の工事が始まりました。そうしたときにハビタットの活動を思い出し、GVプログラムを見てみたところ、やはりヨランダ復興に関してのGVがなされていることを知ることになりました。ハビタットによる支援は2014年頃から行われており、今なお継続していることも含め、やはりNGOの動きはスピーディかつコミュニティに根差している…と改めて思い知らされました。
カリボ町の川沿いにある不法居住地区。
電気火災が起き、何十もの住居が被害に
遭いましたが、すぐに再建し、
また同じような形に戻っていきます。

学生時代に募金活動をする際は「衣食住の住」という人間の尊厳に関するといった部分に着目して啓蒙したり、SSBTメンバーと話をするときにもよく話し合いをしたりしていましたが、改めて自分のおかれた環境や仕事の経験などと結び付けていくと、いかに住環境が大事か、ということを痛感させられました。こちらでは、日本と比べて耐震基準もそこまででないことや、経済事情もあって不法居住をしている住民がおります。そういったなかで、災害は容赦なく襲ってきます。川沿いや土地の低いところに住んでいる住民は真っ先に被害者となり、またそこから復興するためにもお金がかかることとなり、負のサイクルから逃れられなくなってしまいます。軽素材で作られた住居は簡単に台風で破壊され、ただ簡単にまた元通りにできるという部分でのメリットはあるかもしれませんが、災害への備えという点では非常に脆弱な状態です。特に温暖化なども相まって、時折想定以上の災害が起きることから、今までは大丈夫でしたが、今後はどうなるか、というのは誰にも予測できません。そういった方々に、現地で調達できる資材を使い、現地の風土に適した家を住民と共に建てるという関わりは継続につながると思っています(国際援助で建てられた施設では、使われた資材や機材で修理代が高くつくことや、修理自体ができない、といったこともよく耳にします)。



ワークショップ形式で防災教育を実施
【まとめ】
私の任期は2017年の7月までですが、引き続き任地での活動に取り組むかたわら、なんらかの形でハビタットとも繋がり続けられたらと思っています。協力隊の任地訪問をしてみたい方がいらしたらいつでもお気軽にご連絡ください。もちろん防災・災害対策という職種でなくとも、フィリピンには現在50人ほどの隊員がおりますので、そういった隊員を紹介する、ということも可能かもしれません。

大学生のときの経験全てが今に生きているかどうかと言われると難しいところですが、GVの経験は確実に生きていると思います。私は留学経験がありませんが、それでも途上国での、数週間のボランティア活動でしたが、2年間隊員生活を過ごすにあたって、なんとなくイメージをもつことができましたし、自身の立ち振る舞いについても気づかないうちに身に着けていったと思います(ストリートチルドレンへの対応や安全対策など)。また、ハビタットで面白いと思うところは、一つの大学だけで完結しないところが珍しいところかなとも思います。他大学との合同イベントを通じて仲良くなった友人とは今も交友がありますし、協力隊の派遣前訓練所で一緒に訓練を受けていた隊員の一人がGV経験者で、そこから一気に打ち解けて色々な話をするように…ということもあり、ハビタットという共通の話題が色んな広がりを見せています。

GVの経験がどこでどのような形で結びつくのかは分かりませんが、GVでの取り組みは、そこに住んでいる方々の一助になっていることを忘れず、「Build Back Better※」を目指して、頑張ってください!

Build Back Better…
災害以前の状態に復旧するだけではなく、被災地をより良い状態に再建するという考え方。 
自身の活動についてはあまり載せきれていませんので、関心のある方は下記参照くださいませ。                                    
①JICAフィリピン事務所がまとめてくれた活動の記事です。
https://www.jica.go.jp/philippine/english/office/topics/news/160830.html
② 週に1度くらいのペースで、日記のような形でブログをつけています。  
http://ameblo.jp/the-bonds-573

2016年10月5日水曜日

広報インターンを終えて

こんにちは。早稲田大学WHABITAT4年の村田理帆と申します。20164月から8月までの約5ヵ月間、インターンとして広報業務に携わらせて頂きました。今回は5ヵ月間の広報業務を経て学んだこと、そして感じたことを中心に筆を執らせて頂きます。

「ハビタットの事務局でインターンをしてみないか」声がかかったのは就職活動が始まった3月のはじめ頃でした。現役時代、沢山お世話になったハビタットの支えに少しでもなれれば、という思いと、NPO法人による国際協力への関わりを知りたい、そんな思いからインターンを引き受けることにしました。

広報業務に携わらせていただく中での発見は、自分が思っている以上にハビタットのことを知らなかったという事実です。現役時代、ハビタットの活動に積極的に関わり、GVリーダーも経験した私は、ハビタットの活動を深く理解しているつもりでした。しかし実際に事務局での業務に取り掛かる中で、私が知るハビタットは、GVやその他のユースプログラムの活動といったほんの一部分の活動であることに気がつきました。活字という手段で、ネパール地震の被災地でハビタットが地域住民と一緒に取り組む活動や各国のコミュニティ支援の取り組みなどを伝えることで、新しい発見に出会うことができました。それと同時に、人に伝えることの難しさと責任の重さを味わうことができました。Facebookやブログ、ホームページなどの更新や毎月配信されるメールマガジンなど、複数の媒体を駆使してハビタットの活動を一般の方々に伝える、そして、低水準の住居問題に対して問題意識を抱いてもらえるよう導くことがハビタットの広報として目指すべき目標であり、それは「言葉を紡ぐ」という、地道な努力の積み重ねなくしては到達できない険しい道のりであることを実感しました。

一方、インターンとして事務局に通うようになって間もない頃、熊本地震が発生しました。度重なる余震により、甚大な被害をもたらしたこの地震の報道を見た時、ハビタットの広報インターンとして、「直接自分の目で熊本の現状を見て、自ら発信したい」、そう強く感じました。そんな矢先、広報スタッフとして現地での活動を事務局より打診された私は、迷いなく熊本行きを決意しました。GVとは異なり、たった一人で熊本まで向かう、縁もゆかりもない熊本で果たしてどれだけ自分が役に立てるのか、正直不安だらけでした。けれども、広報インターンであることに加え、東日本大震災が起きた際にテレビで映し出される惨状をただ見るだけだった自分が思い出され「今回こそは」という気持ちが私を突き動かしました。振り返ってみると、熊本地震の被災地でどれだけの力になれたのかは分かりませんが、たとえ小さな力であったとしても、熊本の現状を自らの目で見て、熊本支援の輪が広がるように思いをこめて言葉を紡ぎ記事にしたことで、自分は確実に熊本の支援の輪の中にいると感じることができました。また、熊本での活動をきっかけに、災害支援を身近に感じることができるようになりましたし、熊本という土地そのものが私にとって特別な場所になりました。ハビタットが熊本での支援を終えた後も個人的に熊本を訪れるなど、今までの自分では考えられないような行動力がこの数ヵ月で身についたように感じます。

9月から半年間、フィリピンへ渡航することが決まっていたため、インターン職を一旦離れることになりました。5ヵ月間という短い期間でしたが、ハビタットで広報インターンを務めることで、熊本支援を含め、何物にも代えられない貴重な経験を積むことができました。5ヵ月間、大変お世話になりました!!!

2016年9月19日月曜日

女川の復興に想う、「だれもおいてけぼりにしない」こと

こんにちは!ハビタット・ジャパンの稲垣です。先日、以前に宮城県女川町に縁のある、私にとっては懐かしいお二人とお話しする機会がありました。復興について、支援についてあらためて考えるきっかけになったので、ここで共有しますね。

私は2011年夏から2年間、宮城県に駐在し、復興支援事業を担当していました。未曾有の災害が起きた場所で、復興が何を意味するのか、ひとつの団体で何ができるのかわからないまま、ただ必死に、目の前のできることをなんとか進める毎日でした。そんな中で出会ったのが、八木純子さんです。

八木さんは、女川町の小さなコンテナで、地元のおばあちゃんたちと布草履を作っていらっしゃいました。聞けば、自らも被災し、避難所で小さなお子さんを抱えるお母さんたちを支えることからはじまり、その後も色々な形で、周囲の人たちを助けているとのこと。八木さんの元には、ボランティア、支援団体のスタッフ、地元の方たち、色々な人がやってきて、とにかく忙しそうで、パワーのある人だなぁと圧倒されてしまいました。忙しい中たくさんのお話をしてくださり、ついには、八木さんが育ったご実家まで連れて行ってくれました。その家は、津波被害が大きかった女川高白浜のすぐ横。その時には、周りには他に何の建物もなく、工事車両がたくさん置いてあるだけでした。海の目の前なのに、奇跡のように残った建物。ボロボロだけど、傾いてもいない。2階には、少しだけど家具や小物が残っていて、八木さんが育ったころの空気もまだ漂っているかのようでした。窓を開ければ絶景の海!この建物と八木さんのパワーがあれば、ここにどんどん人が集まってくるように感じました。八木さんもそれを願っているようでした。ついその場で、建物を直す提案をしてしまいました。

そこからは、もうそうなることは決まっていたように、話が進みました。ハビタットだけではどうにもなりません。様々な人たちの助けを得て、本当に建物の改修が決まりました。

その後、私自身は宮城を離れてしまったのですが、八木さんのご実家を地域の憩いの場として再生するプロジェクトは、他のスタッフが引き継いでくれて、その後、無事に「ゆめハウス」として、とても素敵な場所が生まれました。


ハビタットはその最初の一歩を少し後押ししただけ。実際に人を集め、運営して、素敵な場所に変えていったのは、八木さんをはじめとする地元の人たち、それを応援する様々な人たちです。
先日、横浜で八木さんが登壇するイベントがあると聞いて、(しかも東北の美味しいお酒とごはんもあると聞いて!)、ワクワクしながら足を運びました。

八木さんは今も、前に進むために懸命に働かれています。前に進むと言っても、ひとりで突っ走るのではなく、地元のおじいちゃんやおばあちゃんたちの手を取って、少しずつ少しずつ歩んでいる感じ。それをするために、見えないところで猛烈に事務仕事や様々な手続きをして布石を敷いておられると思います。数年ぶりにお会いして、たくさんお話しをしたら、八木さんが元気なことに安心し、そして私もまたパワーをいただきました。同時に、八木さんのお話しに出るのは、ニュースで見聞きするのとは違う今の女川の本当の姿。女川駅が再生し、立派な駅舎と温泉施設、海まで続く新しい商店街ができました。電車の運行も再開し、多くの人が足を運ぶようになりました。毎日のようにイベントが開かれ、観光客でにぎわいます。しかし、地元の人たちの心には、喜びと同時に、戸惑いもあるようです。めまぐるしく変わる街の変化についていくのは大変なことなのだと思います。

そんな女川の「今」を、現地で間近に見ながら、支援活動をしている若者がいます。ハビタットのキャンパスチャプター東北大学As Oneの代表を務め、その後、インターンとしてゆめハウスで働いている高田俊智さん。高田さんが、女川で過ごし、八木さんと働く中で感じている今の思いをおしえてくれたので、少し紹介しますね。

「八木さんと色々と関わってきて、学んだり、感じたことはたくさんありますが、一番良かったと感じているのは、『自分を叱ってくれる存在がいる』ことです。今までの大学生活で、肉親以外でそういう人はいなかったし、ましてや東北支援やそういう分野で意見をぶつけたり、しっかり甘いところ等を追及してくれる人がいなかったので、そこが最も良かったなと思うところです。」「女川に限らず、多くの被災した自治体に外部からたくさんの人や団体が入ってきていて、そこと元々いらっしゃった地域住民の方々とがうまくいってるところとそうでないところがあります。ただ両方とも、それぞれの『復興』を目指して活動していく上で大事なのは『だれもおいてけぼりにしない』ことだと思います」

災害後の支援においても、貧困解消を目指す国際的な活動においても、誰かのために何かするときには共通して大事なこと。それは、寄り添うこと、そして、誰も置き去りにしないこと。ハビタットで働く中で、それができているか、常に自分に問いかけています。八木さんや高田さんは、女川でそれを大切にし、実践しているのですね。高田さんのように、支援のバトンをつないでいる若者がいることは、ハビタットにとって大きな支えです高田さんは、女川での出会いがきっかけで、この夏はアメリカでの研修ツアーに参加したとのこと。

ハビタットの活動をする中で生まれた想いは、こうして、人から人へつながれていくのだな、と私たちを支えてくださるすべての方への感謝を新たにしました。

2016年8月2日火曜日

東北スタッフ便り(その34): 仮設住宅のお別れ会~支えあった5年~

未曾有の被害をもたらした東日本大震災が発生してから今年の3月で5年が経過しました。ハビタットも震災直後より緊急支援を開始。宮城県と岩手県に拠点を構え、約4年にわたり住民に寄り添い、一人でも多くの方が安心して暮らせる住まいを取り戻せるよう支援にあたってきました。

変わり行く現地のニーズに対応しながら支援を展開する中で取り組んだ一つが、今日、ここでお伝えする仮設住宅における支援。長期に及ぶ可能性のある仮設住宅での生活が少しでも健全なものになるよう、そして、住まいが明日への希望が見出せる場所となるよう、仮設住宅で物置をはじめ、ベランダやひさし、踏み台など、居住空間を改善するための物づくりをボランティアと共に行いました。

そして、仮設住宅での物づくり支援を開始した当初に出会ったのが、岩手県大船渡市三陸町越喜来に位置する杉下応急仮設住宅です。その仮設住宅も5年の歳月を経て大きく移り変わろうとしています。それに伴い、2016年7月24日、杉下仮設住宅のお別れ会が開催されることになりました。当時現地に駐在していたハビタット・スタッフ(小松さん)をはじめ、大変ありがたいことに、ハビタットもお別れ会にお招きいただきました。お別れ会に参加した小松さんがお寄せくださった寄稿を通じて、当日の様子をお伝えします。
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岩手県大船渡市三陸町越喜来の杉下応急仮設住宅で、仮設住宅のお別れ会が、2016724日に開かれました。杉下仮設住宅は、大船渡市にあった37の仮設住宅の一つで、2011年6月に開設、当初は84世帯が入居しました。

この日は、杉下仮設の自治会の主催するお別れ会で、かつての住民の方、現在の住民の方が一堂に集い、約5年にわたる仮設住宅にお別れをしました。会場は、被災し再建された三陸町公民館です。

はじめにこの大震災で亡くなった方に黙祷を捧げました。

続いて自治会長の鈴木さんが、「今日は、杉下仮設住宅へのお別れの会で、仮設住民へのお別れ会ではありません。1,000年に一度の大災害を共に乗り越えてきた杉下仮設住民の繋がりはこれからもずっと続きます。84世帯いた住民も、10世帯くらいが残りますが、その方たちも行先の目途がついてきました。そこで仮設住宅への感謝、支援をして下さった方への感謝をし、住民が一緒の時を過ごそうとここに集まりました。」と挨拶されました。

参加者は90名を越えました。山海の珍味のご馳走は、被災後再建された越喜来の嘉宝荘の料理です。会は午前11時からですが、ビールや酒が早くも振る舞われ、仮設住民が次々に思い出を語りました。「仮設住宅でお互いに声をかけあって、支え合ってきた。」「今は仮設を離れたが、皆で一つになっていた仮設の暮らしが懐かしい。本当にありがとう」と当時の思い出と感謝の言葉が続きました。そして「にいやのおっかあ」(当地ではみな屋号で人を呼びます)の歌が飛び出すなど、大いにもりあがりました。ハビタットで住宅支援した佐藤さんにもマイクが回りましたが、おしょっす(恥ずかしがり屋のこと)、の佐藤さんは、ひたすら逃げ回っておりました。

仮設住宅の支援員さん達が、何日もかけて準備した思い出の写真が、舞台上の大スクリーンに、次々と映し出され、盆踊りやカラオケ大会の動画も披露されました。地元の新聞、東海新報や、岩手日報、岩手めんこいテレビ、NHK釜石なども取材に来ていて、司会者の無茶ブリで、記者全員逆にコメントを求められ、それに会場から質問が飛び交うと言った塩梅でした。

宴会中も、「私はハビタットに住宅修繕の支援をしてもらいました。本当にありがとう。でもあなた私の顔を覚えている?」と何人もの方がわざわざ私のところに来て声をかけてくださいました。


宴もたけなわとなり、今日声をかけてもらった支援団体も順に挨拶しました。ハビタットにも順番が来て、声掛けしてもらった感謝、杉下仮設の初期の受け入れがその後のハビタットの活動の支えになった感謝、今は熊本支援で今日は1名のみしか来れないお詫びをお伝えしました。

やがて全員で一つの輪になって、桜音頭を踊り、お開きとなりました。「今のはリハーサル、これが本番」と、何度も踊りました。(桜音頭は、大船渡では結婚式などのお開きに踊る習わしです。)




注:大船渡市に37団地1801世帯あった仮設住宅は、平成30年度までに3団地464戸を残し、いったん解体集約されます。杉下仮設は、当面残る3つの仮設住宅団地の一つです。

2016年7月1日金曜日

今できること: 熊本地震写真展開催

ハビタット・ジャパンの学生支部(キャンパスチャプター)が活動する関西学院大学三田キャンパスで、熊本地震の被災地をうつした写真展が開催されました。写真展開催を企画したのは、キャンパスチャプターEco-Habitat関西学院に所属する石川さん。石川さんは震災から1ヵ月が経過した5月末の週末を利用して、ハビタットが支援に取り組む西原村でボランティア活動に参加しました。2日という限られた時間は貴重な経験になったと語る一方、もっと何かできないか、そんな思いから写真展を開催したと話します。石川さんが寄せてくださった写真展開催への思い、写真展の様子をご覧ください。

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 目的:キャンパスの学生だけでなく、自分たちも熊本地震に対して考える機会を作る
 開催期間:201662412:402016630日               
開催場所: 関西学院神戸三田キャンパス 

528日から29日にかけてハビタットが呼びかけた西原村での短期ボランティアに参加しました。緊急支援としてのボランティア活動には参加したことがなかったので、被災した直後の被災地を訪れ、そこで活動できたことはとても貴重な経験になったと思います。 (5/28-29で行ったボランティア活動の様子はこちら

  ですが、二日間の間で自分にできたことは限られていたように感じました。避難所での生活を余儀なくされている方々、身寄りがなく被災した家の片づけをしなければいけない方々とお話をし、住宅再建に関する広報物をお渡ししても、何か直接的な支援ができないもどかしさのようなものを覚えた自分がいました。その感情からか活動を終え、関西に戻ってから、今の自分に何ができるのかを考えました。そして、活動中、避難所での生活の大変さや支援物資の多さなど、直接目で見て感じることが多かったので、熊本地震で被害を受けた被災地の現状に触れることができる機会を作りたいと、今回の写真展を開催することに決めました。

  写真展には熊本でのボランティアに参加された学生や、九州出身の学校の職員、阪神淡路大震災を経験された市役所の方が来てくださいました。足を運んでくれた総合政策学部の水田さんは「僕自身も、6月に益城町の方へボランティアをしに行かせてもらい、そこで継続的支援の難しさを痛感しました。写真展では、実際に現地に行ってない方でも、現地の当時の様子や、自分に何が出来るかを考えさせられる内容だったと思いました。僕自身の中でも、継続的支援の中に写真展を開催することも、含まれているように感じ、ぜひ、今後も自分の力が支援に繋がる活動であるなら積極的に参加してみたいと感じました」と語ってくれました。

益城町と比べると、活動した西原村はニュースで取り上げられることが少ないように思います。この写真展開催が熊本地震に対して、また西原村に対して一人でも多くの方に関心を持つきっかけになっていただけたのであれば幸いです。最後に、準備期間も短い中でしたが、エコハビのメンバーからのご協力もあって、写真展を開催、そして終えることができて嬉しく思っています。ご来場して頂いた方々、並びに、運営を手伝っていただいた方々本当にありがとうございました。



2016年6月6日月曜日

熊本の被災地から: 若者への期待


5月28日から29日にかけての週末、ハビタット・ジャパンの学生支部に所属するメンバーを中心に、ハビタットが支援を続ける西原村で総勢14名がボランティア活動にあたりました。OBOGにも参加を呼びかけたところ、関西学院大学上ヶ原ハビタットを卒業された張谷さんも活動に参加してくださいました。今回の活動にあたり感じた事、そして現在全国で活動するキャンパスチャプターに所属する学生への思いを次の通りレポートにまとめてくださいました。
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今回のボランティア活動には、友人の紹介で参加を決めました。連日報道される被災地の様子などを見て、自分にも何か出来ないか日々悶々としている頃に友人からの紹介がありました。

雨天のため、当初想像していた瓦礫の除去などの活動とは異なり、西原村にある数ヶ所の避難所を尋ね、情報の伝達を行うなどといったお手伝いをさせていただきました。実際に避難所に伺うことで、物資にしても何が必要で何が足りているか、そして、ボランティアに今後期待することは何か知ることが出来たと思います。


あくまで避難所での活動ですが、そこで生活されている方々(とりわけ子供やお年寄り)とコミュニケーションを取ることができました。役所の方によると、我々の様に外部から来た人間との交流は被災された方々にとって刺激になるといいます。また以前、東北でのボランティア活動で伺った話ですが、子供が笑顔になると大人は安心するそうです。例えば子供にお風呂掃除を手伝って貰い、一緒に作業することを通して交流を深めたい。子供や若者の力で、被災地を活気づける活動が、今求められているように感じました。


どんな活動を通して交流したいか、そして被災地を元気づけることができるのか。今まさに沢山の経験をしているキャンパスチャプターの方々にアイデアを出して貰えたらと思います。2日間を共にしたキャンパスチャプターの方々は自分の意見や考えがあり、自主性を持って活動されていました。活動を通して吸収した多くのことを外部に発信して欲しい。アイデアを形にして実行し、それを外部に発信する。そうしてボランティア活動に継続して携わることが、復興への一助となると思います。


※右上、ハビタット・スタッフ(女性2名)のお隣にいるのが張谷さん
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張谷さん、レポートありがとうございました。張谷さんと活動を共にした関西学院大学、Eco-Habitat関西学院のメンバーは、キャンパスに戻り、熊本で見たことを伝えるために写真展の開催を決めました。ハビタットは熊本支援にあたる期間、引き続き学生支部のメンバーを中心に、ボランティアと共に被災地での支援に取り組んでまいります。

◆5月28日-29日の活動報告はこちら

2016年6月1日水曜日

熊本での活動~他者に寄り添う心~

こんにちは。ハビタット・ジャパンでインターンを務める村田です。5月21日から22日にかけての週末、立教大学eddyに所属し、ハビタット・ジャパンでインターンを務める米田君が、就職活動の合間を縫い、被災地でのボランティア活動に参加してくれました。そんな米田君に被災地での活動、そして感じた思いなど、お話を伺いました。


「何かお困りのことはありますか」 ハビタット・ジャパンが運営をサポートする西原村災害ボランティアセンターのパンフレットを手に、一軒ずつ被災されたお宅を回り、ニーズ調査を行うこと、そして情報提供を行うことが主な役割でした。お宅を回る中で、その場で困っている方がいれば、ゴミ出しや家財の搬出などのお手伝いも行ったそうです。※21日-22日の詳しい活動報告はこちら

「自分自身、子供のころ新潟中越沖地震で被災した経験があります。地元が被災した中で、復興を目指しボランティア活動にいそしむ父の背中を見てきました。だからこそ、熊本地震の被災地で、自分に何かできるのであれば力になりたいと思った」参加した理由を、米田君はこう話してくれました。

今までもキャンパスチャプターの活動を通してさまざまなボランティア活動に取り組んできた米田君ですが、今回の活動では、被災されたご家族のニーズに直接応えるボランティア活動ではなく、住民のニーズを聞き取ることでボランティアを派遣するためのお手伝いをすることができたと話します。住民のニーズをボランティアとマッチングさせるボランティアセンターが担う役割、その苦労を知ることができたと共に、米田君にとっては、ある種のもどかしさを感じる機会にもなりました。

支援を求める住民、支援に手を差し出すボランティア、そしてニーズをマッチングさせるボランティアセンター。被災地では限られた人員、そして日々変わりいくニーズに、住民の方が求める支援を十分に届けることができていないのでは、という思いを抱いたそうです。
何をどこまでボランティアに任せていいのか、不安に感じる住民。限られた人員でニーズ把握に取り組むボランティアセンターのスタッフ。マッチングが合わず帰らざるを得なかったボランティア。ボランティアセンターでのお手伝いを通して、こういった現状があることを知れたと言います。


また、「建築士などの専門家に自分の住宅の被害状況をきちんと鑑定して欲しい。」そう声を漏らす住民を目の当たりにし、無力感も感じた米田君。しかし、「役に立ちたい、復興に向けて共に力を合わせたい」そういった気持ちを見せることで、被災した方に寄り添うことができたと話してくれました。

「今まではボランティアを行う立場だったが今回の経験を通して、様々なアクターの気持ちに気づくことができた」そう話す米田君は、将来、支援を必要とする場において、様々な立場の人が100%の力を発揮していける関係を構築できる人材になりたいと、希望を語ってくれました。


ハビタット・ジャパンでは、若者のボランティア活動を通して、社会に貢献できる人材の育成を目指しています。

2016年5月31日火曜日

熊本での活動 ~ボランティアを支えるということ~

こんにちは。ハビタットで広報インターンを務める村田です。熊本県や大分県などの地域を度重なる大地震が襲ってから、1ヵ月が経過しました。ハビタットは熊本県阿蘇郡西原村災害ボランティアセンターでの運営サポートに加え、学生支部のメンバーを中心に若者が被災地でボランティア活動を行えるようサポートし、住民に生活、そして住宅再建に関わる情報提供を行っています。学生支部の一つ、武蔵大学A't に所属する4年生、室田さんは、長期ボランティアとして、5月13日~19日に西原村で支援活動にあたりました。そのときに感じたことや、伝えたい想いを以下にまとめています。是非ご覧ください。
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みなさんはボランティアをしようと思った時、何を一番に思うでしょうか?

「限られた時間を有効活用したい」「私たちだからこそできることを最大限してあげたい」「私たちは現地に何を残すことができるか」このような言葉を、これまでの様々な活動を通して仲間の口から何度も聞きました。このように考えることは、ボランティアをする上ではごく当たり前であり、大切なことだと思います。そして私自身も幾度となく感じてきたことでもあります。しかしその一方で、そのような思いが強すぎてもいけないのだということを私は今回の経験を通して痛感しました。就職活動中の身である私にとって今回のボランティア活動に際し、長期で現地に入ることは大きな賭けでしたが、行かなくて後悔することだけはしたくないと思い募集がかかってすぐに行くことにしました。現地で過ごした1週間はめまぐるしく過ぎていき、一日を振り返る余裕すらありませんでした。しかし、チームとしてではなく個人として沢山のことを考え、吸収することができたことはなかなかできない経験であり、今も強く私の中で生きています。

まず一番に伝えたいことは、現状を理解してボランティアセンターなどの運営ができる人があまりにも少ないということです。そのような人が被災者のニーズをくみ上げてボランティアに訪れる人々をある意味で「ご案内」する体制が整えなければ、支援は全く進んでいきません。つまり、短期でボランティアを行いたい人はしっかりと自分たちの情報を伝え、ルールや状況を把握し、スムーズに「ご案内」してもらえるようにしなければなりません。そしてこのように運営している人がいなければ何も出来ないということを理解しなければならないのです。時には人手は足りないのに、上手く作業を振ることができず午前中でやることがなくなってしまう人もいます。そういうときに、先ほどあげたような思いを強く持っていればいるほど、「なぜもっとやらせてくれないのか」「もしかしたらボランティアは足りているのかも」と思いがちです。

最後に。あれほどまでに人々の温かさが集まってできた空間で過ごせることは後にも先にもないように思います。とても人生において素敵な時間をありがとうございました。

2016年4月9日土曜日

「Osaka Walk」:大阪市内を練り歩く若者たちは、一体何者?


4月2日、約4カ月にわたり若者が主役となり取り組む「Habitat Young Leaders Build(HYLB)」が閉幕しました。関西の学生支部(キャンパスチャプター)ではHYLB閉幕イベントとして、3月27日にチャリティウォークを企画・開催しました。このチャリティウォークには33名が参加し、5.5キロほど大阪市内を歩きました。募金に協力してくださった方は60名以上。合計15,363円を集めることができました。企画に尽力したメンバーの一人で、キャンパスチャプターとして活動する立命館大学TOMSAWYERの2回生、永田哲也さんが企画実施にあたって抱いた思いを綴ってくれました。
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大阪の人々にハビタットの活動を少しでも知ってもらう、興味を持ってもらう、これを目標にかかげ取り組んだHYLB。「いつもとは一味違った広報活動で、自分たちも楽しめる企画を作りたい」、そう意気込み、どのようにすればより大阪の方々が目をとめてくれるのか、看板づくりや募金を集める際に伝えるメッセージ、メンバーの服装など、ひとりひとりが意見を出し合って企画を考えました。

当日、桜がきれいに咲いた大阪を舞台に心斎橋、大坂城、長居公園、京セラドームの4つのグループに分かれ、駅前などを中心に募金活動、そして各グループがゴミ拾いをしながら歩いてゴール地点である通天閣を目指しました。

雨の心配もしていましたが、青空のもと参加メンバーが無事に募金活動、そして清掃活動を終え、通天閣に集合することができました。メンバーからは、「達成感を感じた」、「思ったより多くのゴミに驚いた」、など新鮮な意見を聞くことができました。



募金をしてくださる方はもちろん、どういう活動をしているのか尋ねてしてくださる方やビラを受け取ってくださる方、「頑張ってね」と声をかけてくださる方、ひとりひとりが私たちの力となりました。これらの反応は私たちの思いが伝わった証拠でもあるので、本当に感謝の思いがつのりました。大阪という場所でこの企画を実施したことによって、住民の皆さんと私たちが繋がり、私たちを通してボランティアが身近にあるということを感じてくれたのではないかと思います。


こうして支援の輪が広がっていくのではないかと改めて実感した私は、もっと多くの人に私たちの活動について知ってほしい、と思うようなりました。実際にこのようなイベントを企画したことで、自分たちの思いを伝える難しさを体感することができました。今回の企画を通して学んだことをこれからの企画にも役立て、より多くの人が興味を抱き、ハビタットの活動を通じて一緒に取り組める貧困問題があることを知ってもらいたいと思いました。




これからも募金活動、広報活動など、さまざまな企画を作り上げていく予定です。この企画に協力してくださった各キャンパスチャプターのみなさま、大阪のみなさま、本当にありがとうございました。


2016年4月8日金曜日

今こそ、できることに挑戦しませんか?~学生が海外ボランティアをする意義~

こんにちは!今日からハビタット・ジャパンで学生インターンを始めた村田です。ハビタット・ジャパンの学生支部として活動するキャンパスチャプターの一つ、関西大学MusterPeace代表の坂本さんに、「若者が海外ボランティアに参加する意義」について、経験を交えて考えをまとめていただきましたのでご紹介いたします。坂本さんはMusterPeaceで代表を務めながら、この春、25人のメンバーを率いて海外建築ボランティア「Global Villageプログラム(GV)」に参加。フィリピンのバタンガスで住居建築活動に取り組みました。若者、特に大学生だからこそ経験できる活動を通して得たものは何か、そのヒントを与えてくれています。

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私はこれまでに3回GVプログラムに参加し、海外でボランティア経験を積んできました。GVの内容は毎回異なるもので、いつも面白さを感じています。そこで若者、とりわけ学生がボランティアに参加する意義が何なのか、自身のGV,そしてキャンパスチャプターでの活動経験を交えてお話ししたいと思います。

私は小学生から高校まで野球一筋の生活を送っていました。大学に入り下宿を始め、新しい環境を迎える中で「どうせなら新しいこと、今しかできないことをやってみたい」、そんな思いを抱きました。そして、友人の紹介がきっかけで、ボランティアサークルに入ることを決心しました。そこで出会ったのがMusterPeaceのメンバーです。MusterPeaceのメンバーに加わってから迎えた大学1年生の夏休み、初めてGVに参加することができました。毎日が楽しい」、そう思った気持ちが今でも一番記憶に残っています。また、2週間という限られた時間の中で、私たちのチームが携わった2軒の家建築が完成に近づいていく様を身近に見ることができ、充実感で一杯になりました。その後、昨年、今年の春と続き、GVに参加しました。そこで、ただ“楽しい”だけでなく、自分たち学生が支援の担い手として海外で活動する意味、そして自分だからこそできることは何なのかをじっくり考えるようになりました。私が出した答えは、学生の強みはひとりひとりが型にはまっていないことだと思いました。

大学生になりたての頃は、将来のビジョンがはっきりしていない人が多いと思います。だからこそ、4年という限られた時間を使い、いろいろなことに挑戦することで、将来自信をもって生きていけるようになると思います。その経験のひとつがボランティアであり、GV、キャンパスチャプターの活動はその経験を提供してくれているのではないのでしょうか。GVは、現地に赴き、価値観の異なる方と出会い、建てる、というボランティア活動を通じて、現地の家族の生活の一部に携わることができる。時間に余裕のある学生だからこそできるボランティア活動、そして支援だと私は考えています。

また、GVに参加したいと思う若者の興味や関心はひとりひとり異なります。異なる価値観を持つ同世代と出会えるのは、日本全国から集まる学生団体を持つハビタット・ジャパンのキャンパスチャプターだからではないでしょうか。


GVへの参加、そしてキャンパスチャプターとしてのこれまでの活動を通して、ひとつの物事を真剣に考え、周りの仲間だけでなく、大学の垣根を越えてさまざまな若者の価値観をいかしたいと思うようになれたのは、キャンパスチャプターのネットワークを生かし、同世代の話をたくさん聞いてきたからだと思います。小中高と違い、選択肢の多い大学生活。だからこそ、たくさんの情報を得て、後先考えずに、今しかできないことを取り組んでいってほしいです。