【東北スタッフ便り 2013.10.03】
大船渡三陸町越喜来 大津波資料館【潮目】のご紹介
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みなさんこんにちは、大船渡事務所の徳地です。本日は大船渡の見どころの一つである
大船渡三陸町越喜来にある【潮目】をご紹介いたします。
ボランティアに来られた方であれば【潮目】に行かれた方も多いかと思いますが、誤解を恐れずに【潮目】を一言で形容すると、それはつまり、素敵な古びた秘密基地です。そのまたの名を大津波資料館といいまして、津波当時の写真を含む津波前後の越喜来に関する資料が所せましと飾られています。
津波の波を追った写真、防潮堤から水が溢れ、近づいてきて、家屋を飲み込む。波が来た時刻で止まっている小学校の時計、被災した小学校のピアノなども置いてあります。【潮目】自体も、瓦礫から拾った材料で作られたそうです。2011年3月11日のその一瞬が、凝縮されている展示を前に、言葉を失います。
一方で、【潮目】は子供のための秘密基地でもあります。そこには「押す」と書いてある引き戸があり、子供たちの落書きがあり、狭い階段をのぼって上がる二階、ほふく前進して出口に向かう屋根裏部屋があります。そして、息を切らしてたどり着いた先は越喜来小学校の奇跡の階段。
越喜来小学校の奇跡の階段とは、海のすぐそばに建っていた小学校の二階から近くの地上まで校門をぐるっと回らずに避難できるように、震災の前の年に地元の強い働きかけによって設置された階段です。この階段のおかげで、越喜来小学校は避難時間をぐっと短縮できることになり、津波が来る前に全校生徒を無事避難させることが出来たのです。小学校が解体される際に【潮目】の建設者、片山和一良さん(通称ワイチさん)が重機を手配し、既に手すりなどが壊されていた階段を間一髪で拾ってきました。その奇跡の階段とそこから吊り下げられたタイヤブランコを見るたびに、ここに展示されているのはただの記憶ではなく、後世に伝えるべき教訓でもあるのだと思い起こすようにしています。
復興への思い、震災遺構への考えは人それぞれですが、子供たちが【潮目】で遊ぶ姿はそれら様々な違いの中の一つの正解ではあるような気がしています。
【潮目】には多くのボランティアなども訪れ、震災の記録を目にし、【潮目】の進化に手を貸します。そこから生まれる絆。それから生まれる越喜来への思い、復興への力。被災前の越喜来、被災後の越喜来。越喜来の人、外の人、輪が繋がり、輪が広がります。その中でみんなも、私たちも、一人ひとりできる範囲内で、自然な形で関わり、そして関わり続けることができたらいいなと、徳地は風にたなびく大漁旗を見ながら今日も思うのでした。
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返信削除これは建築学会賞ものではないでしょうか!
返信削除潮目、私が大船渡に行く際は是非連れて行って下さい!!!
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