【東北スタッフ便り 2013.07.01】
こんにちは、宮城オフィスの大谷です。
今回は、ハビタット宮城の主な支援地域のひとつ、女川町の離島、出島(イズシマ。デジマではありません)を通して、被災地における支援について、まじめに考えてみたいと思います。
女川町までは、仙台から高速を使って車で1時間半から2時間。
出島にはさらに、女川港からフェリーで40分ほどかかります。フェリーは1日3往復のみで、午後3時半の便が島からの最終便です。沿岸部が津波で壊滅した出島には、お店も、学校も、病院もありません。
アクセスや周辺環境のよしあしは、支援の量に直結します。
たとえば、遠方から来る個人ボランティアにとって、出島で支援活動を行うのは、なかなかハードルが高いものです。ボランティアセンター等が紹介する活動もほとんどないので、そもそもどのように支援に入ったらいいか、個人ではわかりかねるところもあります。結果、仙台周辺や石巻など、よく知られていて情報が多く、アクセスがよく、支援活動の環境が整った地域に支援が集中するのが現実です。(そして地域ごとの中でもさらに、支援の集中する場所と、そうでない場所があります)
支援の必要性が頻繁に報道されていたり、ボランティア募集が多い地域だからといって、必ずしも要支援度の高い地域とイコールではないわけです。むしろ、世間でよく知られている地域ほど、多くの支援が届く傾向があります。
上記をふまえ、宮城オフィスでは昨年来、支援の行き届かない地域を中心に支援活動を行っていますが、出島では、漁師小屋の建設にはじまり、がれき撤去やお祭りのお手伝いなどのボランティア活動をしています。
当初は全島避難になっていた出島ですが、現在は、仮設住宅や番屋(集会所のような建物)が建設され、女川や石巻など本土から通って漁業を再開している漁師さんもいます。
堤防や道路の整備も少しずつ進んでいますが、それでは、建物やインフラが元に戻ったら(あるいは元以上の状態になったら)復興といえるのか、というと、そうもいえないところがあります。
学校も病院も店もない出島に、いま、子供のいる世帯はゼロです。「このままでは数十年後には島は終わってしまう」という危惧を、幾人かの島民の口から耳にしたこともあります。また、被災地に限らず、過疎化しつつある全国各地の農村漁村が、同じ問題を抱えています。
ハビタットは家を建てる団体で、目下、被災地における最大の課題のひとつが「家」であるからこそ、「人は家さえあれば生きていけるわけではない」ことを肝に銘じて、これからの支援のありかたを考えていきたいと思っています。
左:漁師の方が漁具を保管するための漁師小屋を建築する様子
中:取り残された島の瓦礫を撤去する様子
右 :若者の少ない島で、ハビタットのボランティアがお神輿に参加する様子
右 :若者の少ない島で、ハビタットのボランティアがお神輿に参加する様子
大船渡徳地です。ほう、大谷さんらしからぬ?、真面目な投稿 笑!去年漁師小屋の建設の応援から随分と長い間がたったような気がします。どうなっていたのか気になっていたので、記事興味深く拝見しました。たしかにハビタットが大事にする【家】だけで終わらないように、そのために何が必要か日々考えなければね。出島はただ端的にそれが表れた場所だけど、それはどんな支援でもいい所ですね!
返信削除