2016年10月13日木曜日

青年海外協力隊員として活動するに至るまでの道のり


初めまして!現在青年海外協力隊としてフィリピンのパナイ島アクラン州カリボ町に防災・災害対策という職種で赴任中の羽田と申します。スタッフの高橋さんより寄稿の依頼を受け、僭越ながら記事を書かせていただいております。少し長文となりますが、【大学での取り組み】→【社会人の経験】→青年海外協力隊としての活動】といったような流れで話を進めていきます。

【大学での取り組み】 
私は2006年-2010年の間、東海大(湘南キャンパス)で学生生活を過ごしており、その際にハビタット・フォー・ヒューマニティ・ジャパンの学生支部であるSame Same but Tokaiに所属し、海外建築ボランティアプログラム(GV:Global Village Program)に参加しておりました。大学1年の夏季休暇を利用し、GVに参加することで初めての海外、バングラデシュに渡航しました。その経験がきっかけとなり、国際協力に関してより一層関心をもつようになり、その後フィリピン、タイ、インドと4回GVを経験いたしました(そのうち1度はGVリーダーを経験。Same Same but Tokaiの代表も経験)。私にとって初海外がGVとなり、ただの観光旅行とは違った側面を見ることができたこのプログラムは、非常に見るものすべてが新鮮かつ、勉強になることばかりでした。GVの経験後は、学内の活動だけでなく、学外でのNGOの活動やインターンシップなどに取り組み、将来的に国際協力の業界で仕事に就くことができたら…と考えるようになりました。

【社会人の経験】
カリボ町の台風ヨランダ被災者への
再定住地建築現場。
まだ完成はしていません。
大学卒業後ですが、地元の新潟にUターン就職し、消防士として5年間勤めました。その後、防災・災害対策という職種で青年海外協力隊員となり、フィリピンに派遣されました。なぜ私が大学卒業後に消防士を選択したのか、それには理由があります。国際協力の分野で貢献するには社会人としての経験を積むことが大切だ、そうインターン先でお世話になったNGOの事務局長からアドバイスをいただきました。自分自身、何度もGVを経験する中で、手に職がなくては海外で活かせるものは何もないのでは・・という懸念を抱いていたこともあり、将来を見据えて少しずつ自身の方向性を見出していきました。そして、“人の役に立てたら”という思いがキーとなり、人の命に直接関わる“消防士”という職が結びつきました。
消防の仕事というのは自身が想像していた以上に忙しく、また人の命に直結する仕事だからこそ厳しい業界でもあることを認識させられました。消防士としての経験は、単に火消しとして町を守るのではなく、地域の人との関わりを大事にすることや、未然に火災を防ぐことに重きを置いているなど、ベテランの消防士が培った技術・知識を伝承することの大切さや防災について学ぶことが非常に多くありました。

【青年海外協力隊員としての活動】
現在私は前述の通りフィリピンで活動しております。消防・救急・救助関連のトレーニングを実施するかたわら、日本の防災に関しての取り組み紹介や、日本の防災教育の教材を借用しHUG(避難所運営ゲーム)を町の集落で実施しています。2013年にフィリピンを襲った台風30号「ヨランダ(ハイエン)」により、フィリピン全土で6,000人以上もの人がなくなった歴史は記憶に新しいかと思います。ハビタットの活動はその復興への手助けにもなっていることを、ここに来て改めて実感しています。私の任地はパナイ島アクラン州カリボ町というところでして、同じ州内にあるボラカイ島というところがリゾートで有名なため、他の地域と比べて経済が潤っている部分があります。ヨランダによりこの地も被災しましたが、被害が深刻だったレイテ島やセブ島北部などに国際援助が注目し、被害がそこまで大きくなかったところに関してはある種見捨てられてしまっているところがある、というのをこちらに来て気づくこととなりました。今年(2016年)に入り、ようやく任地でも被災した方が再定住できる土地の工事が始まりました。そうしたときにハビタットの活動を思い出し、GVプログラムを見てみたところ、やはりヨランダ復興に関してのGVがなされていることを知ることになりました。ハビタットによる支援は2014年頃から行われており、今なお継続していることも含め、やはりNGOの動きはスピーディかつコミュニティに根差している…と改めて思い知らされました。
カリボ町の川沿いにある不法居住地区。
電気火災が起き、何十もの住居が被害に
遭いましたが、すぐに再建し、
また同じような形に戻っていきます。

学生時代に募金活動をする際は「衣食住の住」という人間の尊厳に関するといった部分に着目して啓蒙したり、SSBTメンバーと話をするときにもよく話し合いをしたりしていましたが、改めて自分のおかれた環境や仕事の経験などと結び付けていくと、いかに住環境が大事か、ということを痛感させられました。こちらでは、日本と比べて耐震基準もそこまででないことや、経済事情もあって不法居住をしている住民がおります。そういったなかで、災害は容赦なく襲ってきます。川沿いや土地の低いところに住んでいる住民は真っ先に被害者となり、またそこから復興するためにもお金がかかることとなり、負のサイクルから逃れられなくなってしまいます。軽素材で作られた住居は簡単に台風で破壊され、ただ簡単にまた元通りにできるという部分でのメリットはあるかもしれませんが、災害への備えという点では非常に脆弱な状態です。特に温暖化なども相まって、時折想定以上の災害が起きることから、今までは大丈夫でしたが、今後はどうなるか、というのは誰にも予測できません。そういった方々に、現地で調達できる資材を使い、現地の風土に適した家を住民と共に建てるという関わりは継続につながると思っています(国際援助で建てられた施設では、使われた資材や機材で修理代が高くつくことや、修理自体ができない、といったこともよく耳にします)。



ワークショップ形式で防災教育を実施
【まとめ】
私の任期は2017年の7月までですが、引き続き任地での活動に取り組むかたわら、なんらかの形でハビタットとも繋がり続けられたらと思っています。協力隊の任地訪問をしてみたい方がいらしたらいつでもお気軽にご連絡ください。もちろん防災・災害対策という職種でなくとも、フィリピンには現在50人ほどの隊員がおりますので、そういった隊員を紹介する、ということも可能かもしれません。

大学生のときの経験全てが今に生きているかどうかと言われると難しいところですが、GVの経験は確実に生きていると思います。私は留学経験がありませんが、それでも途上国での、数週間のボランティア活動でしたが、2年間隊員生活を過ごすにあたって、なんとなくイメージをもつことができましたし、自身の立ち振る舞いについても気づかないうちに身に着けていったと思います(ストリートチルドレンへの対応や安全対策など)。また、ハビタットで面白いと思うところは、一つの大学だけで完結しないところが珍しいところかなとも思います。他大学との合同イベントを通じて仲良くなった友人とは今も交友がありますし、協力隊の派遣前訓練所で一緒に訓練を受けていた隊員の一人がGV経験者で、そこから一気に打ち解けて色々な話をするように…ということもあり、ハビタットという共通の話題が色んな広がりを見せています。

GVの経験がどこでどのような形で結びつくのかは分かりませんが、GVでの取り組みは、そこに住んでいる方々の一助になっていることを忘れず、「Build Back Better※」を目指して、頑張ってください!

Build Back Better…
災害以前の状態に復旧するだけではなく、被災地をより良い状態に再建するという考え方。 
自身の活動についてはあまり載せきれていませんので、関心のある方は下記参照くださいませ。                                    
①JICAフィリピン事務所がまとめてくれた活動の記事です。
https://www.jica.go.jp/philippine/english/office/topics/news/160830.html
② 週に1度くらいのペースで、日記のような形でブログをつけています。  
http://ameblo.jp/the-bonds-573

2016年10月5日水曜日

広報インターンを終えて

こんにちは。早稲田大学WHABITAT4年の村田理帆と申します。20164月から8月までの約5ヵ月間、インターンとして広報業務に携わらせて頂きました。今回は5ヵ月間の広報業務を経て学んだこと、そして感じたことを中心に筆を執らせて頂きます。

「ハビタットの事務局でインターンをしてみないか」声がかかったのは就職活動が始まった3月のはじめ頃でした。現役時代、沢山お世話になったハビタットの支えに少しでもなれれば、という思いと、NPO法人による国際協力への関わりを知りたい、そんな思いからインターンを引き受けることにしました。

広報業務に携わらせていただく中での発見は、自分が思っている以上にハビタットのことを知らなかったという事実です。現役時代、ハビタットの活動に積極的に関わり、GVリーダーも経験した私は、ハビタットの活動を深く理解しているつもりでした。しかし実際に事務局での業務に取り掛かる中で、私が知るハビタットは、GVやその他のユースプログラムの活動といったほんの一部分の活動であることに気がつきました。活字という手段で、ネパール地震の被災地でハビタットが地域住民と一緒に取り組む活動や各国のコミュニティ支援の取り組みなどを伝えることで、新しい発見に出会うことができました。それと同時に、人に伝えることの難しさと責任の重さを味わうことができました。Facebookやブログ、ホームページなどの更新や毎月配信されるメールマガジンなど、複数の媒体を駆使してハビタットの活動を一般の方々に伝える、そして、低水準の住居問題に対して問題意識を抱いてもらえるよう導くことがハビタットの広報として目指すべき目標であり、それは「言葉を紡ぐ」という、地道な努力の積み重ねなくしては到達できない険しい道のりであることを実感しました。

一方、インターンとして事務局に通うようになって間もない頃、熊本地震が発生しました。度重なる余震により、甚大な被害をもたらしたこの地震の報道を見た時、ハビタットの広報インターンとして、「直接自分の目で熊本の現状を見て、自ら発信したい」、そう強く感じました。そんな矢先、広報スタッフとして現地での活動を事務局より打診された私は、迷いなく熊本行きを決意しました。GVとは異なり、たった一人で熊本まで向かう、縁もゆかりもない熊本で果たしてどれだけ自分が役に立てるのか、正直不安だらけでした。けれども、広報インターンであることに加え、東日本大震災が起きた際にテレビで映し出される惨状をただ見るだけだった自分が思い出され「今回こそは」という気持ちが私を突き動かしました。振り返ってみると、熊本地震の被災地でどれだけの力になれたのかは分かりませんが、たとえ小さな力であったとしても、熊本の現状を自らの目で見て、熊本支援の輪が広がるように思いをこめて言葉を紡ぎ記事にしたことで、自分は確実に熊本の支援の輪の中にいると感じることができました。また、熊本での活動をきっかけに、災害支援を身近に感じることができるようになりましたし、熊本という土地そのものが私にとって特別な場所になりました。ハビタットが熊本での支援を終えた後も個人的に熊本を訪れるなど、今までの自分では考えられないような行動力がこの数ヵ月で身についたように感じます。

9月から半年間、フィリピンへ渡航することが決まっていたため、インターン職を一旦離れることになりました。5ヵ月間という短い期間でしたが、ハビタットで広報インターンを務めることで、熊本支援を含め、何物にも代えられない貴重な経験を積むことができました。5ヵ月間、大変お世話になりました!!!