2015年3月10日火曜日

東北スタッフ便り(その34):震災から5年目に向けて

こんにちは、東北事務所の大谷です。

震災後4度目の3月11日を迎えるにあたり、今回は、ハビタット・ジャパン東北支援現場担当としてのラスト・メッセージを送ります。

ご存じの方もいるかと思いますが、ハビタットの東北事務所がこの3月末で閉所することになりました。3月の活動を終えたあとは、東京本部や学生たちが引き続き、なんらかのかたちで東北に関わっていってくれることと思いますが、ハビタット・ジャパンとして現地スタッフを駐在させるかたちで支援を行うのは、震災から4年で一区切りとなります。

「被災地の復興は進んでいますか?」と県外の人などによく質問を受けることがあります。
「被災地」の「復興」というときに、その「被災地」とはどこなのか、あるいは「被災者」とは誰なのか、そして「復興」とはどんな状態のことなのか。

具体性のない安易な言葉はときに、現実の認識を誤らせます。

現場における支援活動は、その内容も、対象も、結果も、言い訳の余地がないほど具体的ですが、そもそも「復興」がすべての人に共通した概念でない以上、これまでの行いが確実に「復興」につながっているのかどうかは、3年間の現地駐在を終える今でも、はっきりとしたことはいえません。

しかしながら、ハビタットの東北駐在スタッフとして、幾千のボランティアや地元住民とともに建てたり修繕したりした家や施設は、具体的なものとして今もそこにあり、これからも利用されていくであろうという結果は、ハビタットの東北事務所が閉まったあとでも残り続けて、人々の生活を支えていくことになります。

災害支援における外部団体による支援は、緊急支援である以上、いつかはなんらかの区切りが訪れてしかるべきものですが、支援者が去ったとしても支援の結果が残り続けること、それが建築の持つ力です。

そして、建築が目に見えるかたちで残るものだとすれば、目に見えないかたちで残り続けるものが、教育ではないでしょうか。ボランティアとともに活動し、現状を伝え、支援活動についての理解を少しでも深めてもらう、そのほんの数日間の活動機会を提供することを教育、と呼ぶのはおこがましいですが、ボランティア活動のもっとも大きな意義は「ほかの誰でもなく、その人自身が、現場で行い、体験すること」だと思っています。「遠方にお金を使ってボランティアに行くのなら、そのお金を寄付したほうがはるかに支援になる」というようなことを言う人がよくいますが、単に現地に行ってその時の活動や体験で終わりであれば、その言葉はある意味、正しいかもしれません。ボランティアに参加することでその体験を伝え、広め、あるいは深め、また次の活動につなげていくきっかけにできるのなら、ボランティアをすることの価値はほぼ無限に、その人次第で高めていくことができます。これまで一緒に活動してきた幾千のボランティアの中から、ひとりでも多くそのような人が出てきてほしい、という思いで、これまで活動してきました。

ハビタットの東北支援にとっては、ここがひとつの大きな区切りではありますが、東北にはもう支援が必要ない、ということではまったくないですし、自分が生まれた地でもあるので、個人的にも関わり続けることになると思っています。また、東北だけでなく、日本のほかの地域や、世界中にも、災害や貧困や暴力や、本人ではどうすることもできない不運に苦しんでいる人たちがたくさんいます。幸運なことに、日本という世界でも有数の豊かで、自由な国にうまれ暮らしていく中で、自分をとりまく物事に対してどのように振舞い、また、何ができるのか。

「おそらく世界を救うことはもうできないが、個々の人間ならいつでも救うことができる」


とある詩人の言葉ですが、とくに国際支援に携わろうとする人が安易に口走りがちな「世界を救う」という漠然とした理想は、とどのつまり、具体的な個々の人間を救い続けることでしか成しえないのでしょう。「平和な日本」の中でさえ悲惨な現実には事欠かないように、個々の人間が救われないままで「世界が救われる」ことがあるとすれば、それは単に誤った認識でしかないですし、そのような誤った認識を抱かない唯一の方法は、この世界で起こっている現実から目をそむけずに、現場で具体的な物事に触れ続けることにほかなりません。

お世話になったみなさん、ありがとうございました!

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